初冬

競技プログラミング・俳句・生成AI(Bard・Stable Diffusionなどなど)・AIアート・日記。それらを書いています。それらについてとりとめもなく書くブログです。行き当たりばったりで書いてます。

昨日(5月15日)の出来事。医者とヘッセの本について話す。村上春樹の話にもなる。

Twitterでつぶやけなかったことをブログに書きます。Twitterに書くには冗長すぎるなあと思っていることが常日頃からあるのでブログだと書き散らしても良さそうでいいですね。書きたかったけど書けなかったことをブログで書くのが良さそうです。「ブログでそういうことできたらなあ」ってずっと思ってました。

ということで昨日の話をします。昨日は心療内科に診察に行きました。定期的に病院に通っています。その日は雨が降って病院に行く途中に夕立に逢いました。

病院に着くと待合室はすいていて、今診ている患者さんの次に私が呼ばれるのかも? と頭にかすめました。実際にその通りになり、すぐに私の診察は来ました。すぐに先生とお話ができてラッキーです。そういえば前回も思い出せば待たされませんでした。

(看板は心療内科とありますが、実際は精神科・メンタルクリニック、先生は内科医ではなく精神科医です。精神科の看板はないものの事実上精神科です。なんででしょうね? 聞いたことありませんが、ズバッと精神科の看板を掲げる方がスッキリします。心療内科はなんか中途半端な名前で「精神科なのか? 内科なのか?」と思います。)

私は容態(ようたい)が安定していて、基本的に元気で先生に話すことがありません、体に痺れがあって原因不明でずっとです。今日も言うことがありません。雑談になりました。すいているときはときどき雑談になります。

『ヘッセ詩集』を読んだことを話しました。すると、精神科医の先生はヘッセの『車輪の下』を読んだことがあるという答えが返ってきました。意外です。「(ヘッセも)知っているかどうか分からないな」、と思っていたのに「ヘッセの本を読んだことがある」と答えが返ってきたのです。まあ、私がもともとヘッセ知らなかったからですが。

昨日のことを日記に書こうと思っても忘れて思い出せないことがあります。昨日の内に書けば良かったなあ。そのときならまだ思い出せたのに……と思っています。このとき少し面白い問答(もんどう)があったのですが、詳しい内容を忘れて悔しい思いがあります。くう……日記に書き残しておきたかったのに。

書物の名前を忘れたのですが、先生は私がとある書物を読んだことがあると勘違いして聞いてきたのです。読んだことのない書物を読んだものと思われていたらしい。何千人以上の患者さんを診ているのでたぶん混乱したのでしょう。先週話した内容も忘れていることがあるのです。

精神科医の先生が文学が好きなのを知っているのはあるときに私が「『モンテ・クリスト伯』を読んだ」と話したことが切っ掛けです。ものすごく精神科医の先生の食いつきが良かったことを覚えています。普段、自分から話すことのない先生が突然語り始めたのを見たのはもしかするとこれが一番最初かもしれません。

なにか文学作品に先生は興味があるそうです。「有名な著作は読んでおかなくては」という思いがあるらしく、「私が『モンテ・クリスト伯』を読んだ」と言うと食いつきが良かった理由は、まだ読んでないけれども読みたいと思っている書物だったからのようです。偶然にも私がその書物の名を出したからヒューズが飛んで(?)話し始めたのです。

先生はヘッセの『車輪の下』ともうひとつヘッセの著作を読んでいるらしいですが、思い出せないようでした。先生はよく本の内容を忘れます。今回もカタカナだけでのタイトルの本を読んだけれど忘れたということでした。思うに先生は本の内容を覚えているとは思えません。普段から、本の話はするけれど、中身は覚えてないのです。

基本的に先生は本の内容を覚えてません。理由は簡単です。私が読んだことある本を10年や20年前に読んでいるからです。昔に読み過ぎて覚えてないのです。「読んだことあります」で終わりです。話の内容までは覚えてません、です。

村上春樹が最近新刊を出してましたね」と先生が切り出しました。私は知らなかったので「初めて知りました」と言いました。「ニュースを見ないので知りませんでした」と言いました。事実です。最近、ニュースを全然見てません。

なんでも『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のプロトタイプとなった作品をもう一度書き直した作品だとかなんとか……その本は読んだことがあります。ついでに先生にも読んだことを告げたような気がします。村上春樹の本を読んだことを話したことがあります。

「『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』って確か主人公が計算士とかいう訳の分からない職業のやつですよね?」と私は言いました。最近、その作品の情報を見てそのことを思い出したので話しました。たまたまこの本の情報を目にする機会が最近あり、「そういえば、『計算士とかいう職業だったなあ』」と覚えていたのです。

そして、案の定です。先生は「ああ、そういえばそんな」と切り出し、覚えているのか覚えていないのかはっきりしない態度をとりました。詳しい内容は忘れました、「帰りの飛行機で読んだ」とのことです。かなり前の話っぽいです。「まあ、覚えてなくて当然だよな」と思います。

最近はもう本を読まないとのことです。「今読んでも……」だったか、なんだったか言ったので、「リターンみたいなものが少ないからですか?」と聞きました。先生も若くないので今から本を読んでも得られるものが少なそうという、歯に衣着せぬ言い方をすれば、そんなことを言いかけている感じです。

「やっぱりこの歳になると本を読んでも得られるものがね……」みたいなことを言っていました。「ああいう本は若い内に読んでおく方がいい、20代とか30代とかに読んでおくとのちのちの人生で役に立つ」そんな感じです。実際そうだと思います。私も頷きました。若い内に読んでおいた方がのちのちの人生にいい影響を与えることは間違いないと思ったからです……特に名作・名文学というものはそういうものです。

そんなこんなで文学談議も終わりました。診察も終わりました。診察室には私一人だけです。支払いも終わり、薬局に行って薬をもらいに行きます。そうやって、私の病院通いは終わります。それであとは家に帰れば終わりです。その日は特別でしたね。話すことがないとこんなことになるのです。

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